平成30年7月豪雨 2

2.僕は真備町に生まれ育った。高校を卒業するまでの18年間を過ごし、それまで小田川の洪水は数知れず見てきたが、そのほとんどが川の両岸を走る土手によって守られてきた。

実際に土手が決壊したのを見たのは、僕の記憶にある限りこれが二度目である。一度目は僕がまだ4,5歳の時で、床下浸水だったと思う。おぼろげながら、両親の背中に背負われて山の麓の公会堂まで避難した記憶がある。後から聞いた話によると、それは”水門の閉め忘れ”によるもので、天災というよりは人災だったらしい。被害もさほど(事後掃除の苦労は大変だったと思うが)でもなかったのではなかろうか。当時子供だった僕はのんきなもので、水の中を自転車で遊んでいたように思う。子供はいつの時代もたくましい。


とりあえず、家族の無事は確認できたものの、この時点では我が家が水没したのかどうかはっきりとせず、TVやネットのニュース画像、小田川に設置されているらしいライブカメラなども見てみたがよく分からなかった。もし僕の住む地域が浸水していたとしても、床下、または床上数cmぐらいだろうと思っていた。が、昼になり状況が分かってくるにつれ、どうやら複数個所が決壊、義母が見つけてくれたyahooの災害ページによると、うちも氾濫地域に入っているらしいことが分かった。


従兄弟が、彼の友人から送られてきた写真を転送してくれた。二階のベランダから撮ったらしい写真を見ると、水は二階まで来ており、見渡す風景はほとんど海だ。かつて通った小・中学校のあたりも一面水没。水深は少なくとも3-4mはあるように見えた。まじか、こりゃ。。。真備町が水に沈んどる。。。覚悟を決めんとおえんかもしれん。。。

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送ってきてくれた写真。実家からは川と土手を挟んで対岸側になる。


しかしまだ実家のあたりの様子は分からなかった。今はまだどうすることもできないので、情報を集めつつ、母達を手伝うべく僕だけ岡山へ引き返す算段を立てることにした。明後日に帰る予定だったカナダ行きの航空チケットをとりあえずキャンセル。12月末までのオープンチケットにしてもらった。会社へもメールで状況説明、おそらく2-3週間は帰れない旨知らせた。


そうこうしている内に、妹が実家を望めるところまで行って写真を撮ってきた。土手が無残に抉れ、家は水の中にあった。

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 かなり水が引いた後の様子。中央やや左が実家のある辺り。