What time do you have ?!

もうかなり前、まだビクトリアに来たばかりの頃、

 

      "What time do you have?"

 

と咄嗟に聞かれた。勘の良い人なら時間を聞かれているんだな、と予測できるかも知れないが、その頃それなりに(初心者は卒業したという意味で)英語ができるつもりでいた僕は、咄嗟に何を言われているのか気づくことができず、”なにっ??Do I have time??? Have?? ” と生真面目に翻訳しようとしていた僕の頭のなかはクエスチョンマークだらけで、3回ぐらい聞き直してしまった。

最後に相手が自分の左手首を指しながら、”What time do you have??”と笑いながら聞いてくれたので、やっと ”あぁ~、何時か聞いてるんだ~” と気づいた始末。

 

かつてそこそこ出来ていた中学校の英語で、”What time is it now?” と習ったことが金科玉条のごとく頭にこびりついていた僕は、それ以外の表現を受け付けず応用が利かなかったのだった。

 

こんなところに、外国語習得のセンス有り無しが現れるのかなぁ、なんて思ったりする。たまにいるよね、そんなに長期間いる訳でもないのに、すぐにそこそこ話せるようになるセンスの良い方が。。。僕は間違いなくセンスがない。

 

と思っていたら、英語の表現にもいろいろな解釈があるということを、気づかせてくれた事件(?)が職場でもあった。

 

とある金曜日の午前中、その日は平和で明日は休みということもあり、みなリラックスムード。で、猫好きの同僚の一人がこんなメールをチームメンバーに送ってきた。

 

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ぱっと見、どこかに夕食(dinner)を食べに行こうぜって誘ってるんだとみな(注:みんな北米英語ネイティブです)思って、行こう!行こう!となったのだけれど、いざ出発時間を決める段になって、メールを送った本人が、”じゃあ、11時45分出発ね!”って返信して、みなびっくり。

 

”何でじゃー!” ”そりゃ昼食(lunch)だろっ!”とつっこまれまくり。しかし送った本人は ”いやいや、僕のところじゃ、こういう風に食事に誘うときに言うんだけど。。。”と至ってまじめで、冗談でもないらしい。証拠に、辞書でdinnerの意味まで引っ張ってきた。いわく;

  

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 と、確かに、dinnerの意味は厳密にはその日の一番メインの食事のことで、夕食だけとは限らない。単に通常それが夕食になるから、いつの間にか、”夕食=dinner” となっってるんだと反論していた。

 

これも応用の利かない僕の頭では、”夕食のことだ!”と、自信をもって翻訳してくれていたが、今回ばかりは僕だけではなく、北米の中部&西海岸出身のカナダ人&アメリカ人もそう思っていたようで、辞書を見せられても、”そりゃPEIだけだよ”ってその後しばらく議論が盛り上がった。

 

#ちなみにこのメールを送ってくれた同僚は、赤毛のアンで有名なカナダの東岸、PEI(プリンスエドワード島)出身で、猫好きガンダム好きのオタクだけど、とても丁寧な英語を話す良い奴です。

 

英語コンプレックスに日々やられている、日本の片田舎から出てきた者にとっては、なんだか形而上学でも聞くような議論だったが、英語圏の人たちでも(レベルは非常に違うが)悩ましい表現があるという事実は、気分を多少明るくさせてくれた。

 

先日、こんなことをふと思い出したついでに、我が家にあるアマゾンのALEXAに時間を聞いてみた。

 

     "Hey, ALEXA,  What time do you have??"

 

と、私。しばらくぐるぐる考えていたが、いつもの調子で、

 

     "Sorry, I don't know that one..."

 

ふむ、最先端のAIも英語のセンスがないらしい。

 

平成30年7月豪雨 3

3.被災した妹が、母とどうにかするから家族とカナダへ帰るよう伝えてきた。気を使ってるのか、気を使われたくないのか。。。何となく気持ちは分からないでもないが、でもどう見たって、二人でどうにかできるレベルではない。それに、こんな時こそ家族や地域コミュニティの助けを素直に借りたほうが、周りも安心する。

 

とは言え、今すぐ帰っても、救助に動いている自衛隊やレスキュー隊の邪魔になるだけなのは事実。予想としては、倉敷市なり岡山県なりがボランティアを募集するはずなので、そのタイミングで帰るのがよいと思われた。

 

引き返すに当たってネックだった休暇の延長も、HRや上司の理解もあって、それまでにおよそ4週間の有給休暇をとっていたにもかかわらず、残業の先取りやら災害時の特別休暇等々のやりくりであと10日ほどは有給、それ以上は無給でほぼ必要なだけ延長できることになった。仕事を引き継いでくれるチームのメンバーにも感謝である。

 

妻の実家家族も陰に陽に応援してくれ、後顧の憂いなく準備に集中することができる。近所のホームセンターに出向いて、必要と思われる装備一式を買い込んだ。

作業着上下一式 薄手の風通しの良いもの。ズボンはカーゴパンツタイプ。最後まで重宝した。もう2セットぐらい買っとけば良かった。
ゴム手袋   厚手のものを3枚購入したが、結局、軍手の上にゴム製キッチン手袋のほうが良かった。
白シャツ5枚セット 吸水性のよい綿生地のもの。これももっと買っておけば良かった。
軍足5枚セット 同上。ただし足の指がそれぞれ独立しているタイプの靴下。蒸れにくい。
携帯・財布用のポーチ 携帯の画面が確認できる窓のついているもの。
帽子  麦わら帽子、気持ち涼しい。
携帯マスク 紙製、必須。
白タオル10枚セット 薄手の安い物を選択したが、高くても吸水性に余裕のある厚手のタオルのほうが良かった。
長靴  あるサイトの情報では、水害時長靴は避難時に水で重くなりNGとの情報も見かけたが、作業時は長靴が正解。ただ多少重くとも安全靴タイプが良い。薄くて軽い一体型タイプにしたため何回か釘を踏み抜いた。。。


これだけそろえて、だいたい1万円ぐらいに収まった。後述するが、作業中に不足したものは全国各地からの救援品でかなり賄えたので非常に助かった。この場を借りてお礼を申し上げます。。。

 

数日後、実家周辺から水がほぼ引いたため、妹と従兄弟が家を見に行ってきた。こりゃぁ、どっから手をつけりゃええんか、、、

 

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カナダ・ビクトリア留学 - 高校生の場合

ひょんなことから、カナダ・ビクトリアへの公立高校留学について軽く調べたので、以下はその忘備録。

 

General info :

www.studyinvictoria.com

FAQによると、ビクトリア周辺の7つの公立高校への留学プログラムがあるらしい。一応行きたい高校をリクエストできるらしいが、保障はないとのこと。また英語圏以外の留学生は慣れるまでESLクラスをとった方がよいとのこと。まあ、当然ですね。いきなり本番環境にぶち込まれた日にはトラウマになりそう。特に若い諸君は。

 

で、気になる価格ですが、四つのコースがありそれぞれ以下の通り。

 

1.LONG TERM PROGRAM PRICES AND FEESf:id:htr1036:20180926075952p:plain

 一学期および一年留学した際の料金目安。授業料だけで14,000カナダドル(日本円でおよそ120万くらい)もするのね。。。これを高いと見るか安いと見るか。はたまた妥当と見るか。

同時に調べたビクトリアの有名私立 St. Michaels University Schoolの場合、66,100カナダドル!(International students, 寮費、食事などもろもろ込み)なので、それに比べれば半額以下ですな。しかし私立高けー。

www.smus.ca

 

 

2.ACADEMIC TRANSITION PROGRAM PRICES AND FEES  

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Academic Transition Program | Victoria International Student Programs, Greater Victoria School District

説明によれば高校編入のための4-5ヶ月の準備コースらしい。と、いうことは一番最初にとることになるコースなのかな。はっきりしない。

Students may enter the program at any time within six weeks of the start date.

とのことなので、おそらく英語力等々を勘案されて、行けって言われるのでしょうかね。 

 

 

3.SUMMER CAMP PRICES AND FEES

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個人的にはこれが一番最初はお勧めな感じがする。夏休み期間中のプログラム。諸費用およびホームステイ・3食付でこの値段。まあ妥当だと思う。一度これで体験してみて、気に入れば、より長期の留学が良いのではなかろうか。または次の短期留学もいいかも。

 

 

4.SHORT TERM INDIVIDUALS PRICES AND FEES

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3,4ヶ月の短期留学。最初の取っ掛かりとして。

 

感想:高校留学結構見かける。個人的には、こちらの大学に入学するつもりなら長期が良いとは思うけれど、そうでないのなら、サマーキャンプか短期か。でも短期だと日本での一学期丸々居ない事になるから、日本での受験を考えるとどうでしょう?エスカレーターで上がれるなら別だけど、そうでないなら受験に不利になりゃせん?そう考えると、やっぱりサマーキャンプかなぁ。学期中の留学は日本との学習のトレードオフをどう考えるかによるよね。

 

 

平成30年7月豪雨 2

2.僕は真備町に生まれ育った。高校を卒業するまでの18年間を過ごし、それまで小田川の洪水は数知れず見てきたが、そのほとんどが川の両岸を走る土手によって守られてきた。

実際に土手が決壊したのを見たのは、僕の記憶にある限りこれが二度目である。一度目は僕がまだ4,5歳の時で、床下浸水だったと思う。おぼろげながら、両親の背中に背負われて山の麓の公会堂まで避難した記憶がある。後から聞いた話によると、それは”水門の閉め忘れ”によるもので、天災というよりは人災だったらしい。被害もさほど(事後掃除の苦労は大変だったと思うが)でもなかったのではなかろうか。当時子供だった僕はのんきなもので、水の中を自転車で遊んでいたように思う。子供はいつの時代もたくましい。


とりあえず、家族の無事は確認できたものの、この時点では我が家が水没したのかどうかはっきりとせず、TVやネットのニュース画像、小田川に設置されているらしいライブカメラなども見てみたがよく分からなかった。もし僕の住む地域が浸水していたとしても、床下、または床上数cmぐらいだろうと思っていた。が、昼になり状況が分かってくるにつれ、どうやら複数個所が決壊、義母が見つけてくれたyahooの災害ページによると、うちも氾濫地域に入っているらしいことが分かった。


従兄弟が、彼の友人から送られてきた写真を転送してくれた。二階のベランダから撮ったらしい写真を見ると、水は二階まで来ており、見渡す風景はほとんど海だ。かつて通った小・中学校のあたりも一面水没。水深は少なくとも3-4mはあるように見えた。まじか、こりゃ。。。真備町が水に沈んどる。。。覚悟を決めんとおえんかもしれん。。。

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送ってきてくれた写真。実家からは川と土手を挟んで対岸側になる。


しかしまだ実家のあたりの様子は分からなかった。今はまだどうすることもできないので、情報を集めつつ、母達を手伝うべく僕だけ岡山へ引き返す算段を立てることにした。明後日に帰る予定だったカナダ行きの航空チケットをとりあえずキャンセル。12月末までのオープンチケットにしてもらった。会社へもメールで状況説明、おそらく2-3週間は帰れない旨知らせた。


そうこうしている内に、妹が実家を望めるところまで行って写真を撮ってきた。土手が無残に抉れ、家は水の中にあった。

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 かなり水が引いた後の様子。中央やや左が実家のある辺り。

平成30年7月豪雨 1

1.2018年7月6日、岡山県倉敷市真備町にある実家が洪水のため水没(床上浸水。。。二階の天井付近まで水没)した。

 

当時、奥さんの実家千葉県にいて、夕方のニュースで岡山が猛烈な雨に見舞われていることを報じていた。が、いつものことなので、一応母に電話をして用心を促し(後にこれが家族の危機を救う一助となった)その日は就寝。翌朝7日のニュースで真備町小田川が氾濫し、町のほぼ全域が水に覆われたことを知った。

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 翌朝、従兄弟の友人が送ってきた写真。左手奥にマービーふれあいセンターが見える。

 

町のインフラは壊滅。電気は言うに及ばず、上下水道、道路は寸断され、地上電話、地上経由のインターネットも不通。屋根上で救助を待つ人々は、唯一使えた携帯電話でSNSへ悲痛な救助要請を投稿していた。僕自身も家族に電話を試みるもまったく繋がらず、同じ町内に住んでいる従兄弟経由でようやく安否の確認ができた(従兄弟の家は町外れの高台にあり無事だった)。

 

従兄弟によると、どうやら母と妹とその子の三人は、土手が決壊する1-2時間ほど前に車で避難したらしい。まさか土手が複数個所で決壊するなど思ってもいなかったためほとんど着の身着のままで出てきた母達一行は、実際に浸水が始まった時点で避難場所に釘付け。とりあえずその夜はそのまま車中泊をし、翌日従兄弟家族とどうにか連絡が取れ、寸断された道路を回避してかなり遠回りしながら、ようやく従兄弟の家にたどり着いたらしい。

 

現在母と妹は疲れきって寝ているとのこと。子供のAは3DSで遊んでいるらしい。のん気とういうか、たくましいと言うか。。。ともあれ近くの親戚宅にとりあえず落ち着くことができた母達はまだ運がよかったのかもしれない。多くの人たちはまだ避難を求めてい、また逃げることができた人々も、ほとんどの人が避難所以外、行く場所がなかった。